息子が導くトレーナーの道

こんにちは。
心技体のお手入れ専門トレーナー
[矜恃ノススメ]西川菜緒子です。

 

今日は私が40過ぎてトレーナーになろうとした経緯や
どういったアスリートを対象にしているのかお話します。

怪我や故障が多かった自分がトレーナーという職業を知ったのですが
実は息子たちが歩んでいる道が
「西川のトレーナー道」を導いてくれているのです。

葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉葉

私には25歳と21歳の息子がいて二人とも長年サッカーをしています。

サカママ歴で言えば17年になるでしょうか。

長男は関東1部リーグの大学卒業後、
海外に出て東欧のクラブと契約し
プロサッカー選手の端くれとして生活していました。
(契約でえらい目にあって2018年秋現在は帰国、1月再び渡欧します)

次男は現在九州1部リーグの大学サッカー部に所属しています。

長男は、私がランニングで故障し始め
トレーナーという仕事を知った中2の時に
試合中、腕を踏まれて骨折→リハビリを半年間で2回も経験しました。

1回目の骨折は数年ぶりに近畿大会出場を決めた決勝戦でした。
ゴールしたのは良かったけれど
相手DFとゴールネットにもつれ合いながら転倒、
腕を踏まれて骨折し救急搬送されました。
スパイクで腕に穴が空き開放骨折の類になりました。

このときは中2だったので
麻酔から覚めたとき「(引退を控える)3年生ともうサッカーができない」
と言って病室で泣きに泣きました。

せっかくの近畿大会でしたが
出ることは叶わず給水やボール拾いのサポートで過ごしました。

そのときは町の整形外科に通い
本に載っていたトレーニングやランにひたすら取り組みました。

秋になり3年生が引退し新チームのリーグ戦が始まった途端に
また囲まれて転倒し踏まれて同じ腕の同じ骨を折りました。

当然ですが公立中学にトレーナーなどいないし
このころには私もすっかりスポーツ科学オタクになっていたので
スポーツ専門の医療機関で診てもらう方がいいと決心しました。

「何とかして治してやる。
この子のこれまでを泣き寝入りで終わらせない。
治ったときは怪我する前よりバージョンアップさせてやる。」

元々「男親みたいだ」と言われる私ですが
このときもそんな感じに鼻息荒く(笑)
自分の治療とリハビリで通ったスポーツ整形に峠道を40分かけて通いました。

リハビリと並行して転倒⇒踏まれて骨折するのなら
転倒しない身体を作ればいいんじゃないか?と
身体づくりに取組みました。

中2の反抗期でしたが彼も必死だったのでしょう、
‟オカンが作ったリハビリプログラム”をこなしていました。

復帰してしばらく経った中3の春
約半年まともにサッカーができなかったにも関わらず
県トレセンに公立中学からただ1人選出され末席に名を連ねました。

小学生の時は身長が低い・キック力がないという理由で
地域トレセンに入ったり落とされたりしていたから
そうした結果は思ってもみなかったことでした。

けれどそのことは
競技の練習はもちろんですが
きちんと目的に沿ったトレーニングをして身体を作れば
身長が低くとも(長男は今でも166㎝)
目覚ましい身体能力に恵まれずとも
光を当ててもらえる機会も訪れるのだと分からせてもらいました。

この経験が土台になって求めては手に入れるスタンスの選手になり
私は私で「もともと恵まれていない選手がどうやったら人並み以上になれるのだろう?」
という命題を常に持つようになりました。

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一方、次男の方はサッカー一直線ではありませんでしたが
この彼の歩んだ道も沢山の気付きをもたらせてくれました。

兄の影響で小1からサッカーを始めたものの
小4でソフトボールに転向、小5の終わりから陸上、フットサルも経験しました。

サッカー部を辞めたいと言ったとき普通なら反対するのですが
当時の指導陣に疑念が生じていたこともあり言う通りにしてやりました。

ソフトボールも頑張っていたのですが
校内で喫煙や飲酒をする指導者陣や陰で悪口の言い合いをする保護者たち…
何より公式戦で不正を行うことを是とする「ここでは当たり前」に耐えられませんでした。

次男から「お母さん…こんなことしていいの?」と訊かれたとき
「ここでは当たり前」に従うべきか親として迷いました。

子どもがスポーツする場に親の私情を優先させるなという価値観で
私を責める保護者もいたからです。

けれどもやはり「スポーツを何のためにさせているか?」と考えたとき
ここでやっていることはスポーツ以前の問題だと思い
本人も納得し離れることを決意したので退部しました。

所属できるところを無くしヒマそうにしている次男を見て
辞めグセを私がつけさせてしまったかもと悩んだときもありました。

それでも色んなことをする方がいいと開き直って
陸上クラブに入りフットサルを習いにも行き
そこでまた楽しいと思えたので中学入学と同時にサッカーのクラブチームに入りました。

最初の方は試合勘も鈍くなっており
ブランクに苦しんでいました。

しかし色んな競技を経験したということは
色んな使い方を身体が経験したということ。
きっとそれが技術を積む強みになる。

そう思っていたら
彼も中3の秋に県トレセンに選ばれました。

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当時の私はまだ独学のスポーツ科学オタク。
今から思うとハウツーしか知らない人間でした。

それでも息子たちのトレーニング成果を見た同級生や先輩たち、
保護者の方々から色々と相談を受けるようになりました。

そうなると
「もっと求められたことに責任を持って
応えられる専門的な知識を深めたい!」と強く思うようになりました。

一時は「中年女がなれるはずない」と諦めかけたのですが
周りの応援もあってトレーナーになるべく資格取得や
その他本格的な勉強をしながら相談も受けてきました。

こうした息子たちの道程や周りの選手たちの辿った道は
私の「人を育てる」ことについて
ちょっとした確信をもたらせてくれました。

それは
目覚ましい能力に恵まれなくても
やり方次第で能力を上げていける。
上げようと向き合う日々が心を育てていける。
という事実でした。

「どうやったらもっと上手くなれるのか」
「怪我してしまったがどうしたらいいか」
「医師やトレーナーにこう言われたがどういうことか」

自分の身体とはまったく違うレベルにある彼らの相談内容や願いが
私を探求にかりたて常に進ませる原動力となってくれました。

また私自身が中年でスポーツ(マラソン)を本格的に始めたものの
知らない・分からない・できないの三重苦。
地方の5㎞大会なら入賞できる力がついたら故障する…
そんな繰り返しで自分が掲げた目標達成まで数年を要しました。

でも三重苦で「ないないづくし」だったから
知りたい・分かりたい・できるようになりたいと希求し
求めた過程で助けてくれ教えてくれる人達と出会えたのが幸運でした。

これらの出会いがすべて
トレーナーとしてものの考え方、捉え方や技術を
形成してくれたと言っても過言ではありません。

トレーナーという仕事を知ったのは自分の度重なる故障でしたが
なりたいと思ったきっかけは長男の骨折でした。

そして次男のおかげで
様々な競技の地域スポーツクラブの現状や光と影、
保護者・指導者で変わる子ども達の運命を間近に見させてもらいました。

実際、長男・次男共に
大事なときに出会えた指導者が信頼でき尊敬に値する大人だったので
人生を大きく変えてもらいました。

指導に携わる人はもっとそういった自分自身の存在の重さに気付いてほしい。
この時期の大人の良い関わり方が多くの選手を変えられる。

身体づくりに貢献することで人の願いをかなえる手伝いができる。
こうした想いも私がこの仕事を志した理由の1つです。

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息子たちの進んだステージが少しずつ上がるにつれ
パフォーマンス向上のために必要な命題がその都度現れたし
自分が「うまくいかない人」だったゆえに
「知りたい・分かりたい・できるようになりたい」が止むことはありませんでした。

私自身が中年ランナーであることや息子たちが現役選手であるおかげで
「どうやったらうまくいくだろう?」
そのことばかり考えてやってきました。

身体づくりに関しては常に実践している事実があり
その中で得た最善が常にあります。

最初からうまくいくアスリート
うまくいってるアスリートに私は必要ないでしょう。
けれども「うまくいかないアスリート」には必ずお役に立てるトレーナーです。

 

ここまで読んで下さって多謝です。

Posted by 西川菜緒子